父の日にはグレープキングを

フジイの日々
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オンラインWassy’sのフジイです。

 

もうすぐ梅雨入りしちゃいますかね。

 

暑いとエネルギーもやる気も溶けだして、
だら~んとなるので苦手です。

 

6月に入り、もうすぐ父の日がやってきます。
母の日の華やかなイメージの陰で
どうしてもひっそりしてしまう気がしますが、
プレゼントもらうと、きっと嬉しいと思います、
お父さん。

 

我が家は基本、焼酎か甘いもの。
ささやかだけれど、日々の楽しみを贈ります。

 

さて、オンラインワッシーズからお勧めするのは
アメリカで「グレープキング」と呼ばれた
薩摩のラスト・サムライ長澤鼎(ながさわ・かなえ)のワイン。
贈りものとして人気です。

 

 

◆長澤鼎とは……
幕末に生きた薩摩藩士で
1800年代の中ごろ、西洋文化を学ぶため
薩摩藩から仲間とともにイギリスに留学しました。
それもなんと13歳の若さで。
当時は、鎖国政策中だったため、密かな渡航だったようです。

 

 

最年少の13歳という若さから、
他の仲間と同じ大学には入れず
スコットランドの学校で学び、
とても優秀な成績を修めていたそうです。

 

その後、イギリスを訪れていたアメリカ人
トーマス・レイク・ハリスに出会い、
仲間とともにニューヨークへ渡ります。

 

五大湖のあたりでブドウ園を開き
ワイン造りを始めますが、
当時のストイックな生活や藩の財政難、
明治維新の知らせを聞いたことなどで
次々と仲間が帰国していく中、
長澤はハリスとともにカリフォルニアへ移り、
サンタローザ近郊のファウンテングローブに
ワイナリーを開きました。

 

このファウンテングローブ・ワイナリーは、
ソノマでのワインづくりの始まりと
言われているそうです。

 

ハリスからワイナリー事業を受け継いだ長澤が
手掛けたワインは高い評価を受けて成功を収め、
カリフォルニアの10大ワイナリーに
数えられるようになります。

 

数多くのコンテストでも入賞していた
長澤のワインは、当時、アメリカワインに
見向きもしていなかったイギリス市場に
初めて輸出されたカリフォルニアワインだったそうです。

 

「カリフォルニアのワイン王」や「葡萄王(Grape King)」
と呼ばれるまでになっていた長澤は、
排日運動や禁酒法など厳しい時代の中でも
強い意志でもってワイナリーを守り続けました。

 

長澤の死後は、外国人だったことで土地の相続が叶わず、
ワイナリーは人の手に。その後、1900年半ばまで続けられた
ファウンテングローブ・ワイナリーは閉鎖となり、
その名前は途絶えてしまいました。

 

しかしながら、長澤が開いたワイナリーの一部は
「パラダイス・リッジ」という家族経営のワイナリーによって
継承され、長澤の偉業に感銘を受けたオーナーにより、
長澤の名前を冠したワイン
パラダイス リッジ カナエ・ザ・グレープ・キング
が造られています。

 

カリフォルニアワインの礎を築いた長澤の生涯は、
日本ではあまり知られることがありませんでしたが、
1983年に来日したレーガン大統領が彼の名をあげ、
その偉業を称えたことで、広く知られるようになり、
2014年に鹿児島県に開館した薩摩藩英国留学生記念館には
長澤の苦難の歩みとともにパラダイス・リッジのワインが
展示されているそうです。

 

今では、世界各地で活躍する日本人醸造家のワインを飲むことができ、
世界こんなところにも日本人…的な番組で、
海外で働く多くの人々の姿を見ることができますが、
遡ること150年以上も前に、たった一人異国の地で
勤勉に働き、生涯を終えた日本人、長澤鼎。

 

そんなエピソードとともに、
お父さんへワインを贈ってみてはいかがでしょうか。

 

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