ウィリアムズ セリエムWilliams Selyem
ガレージから世界へと駆け上がったカルトワイン
ウイリアムズ・セリエムは、ソノマのロシアンリバー地区に住む2人の幼なじみの趣味が高じた、いわゆる“週末ワインメーキング”が始まりました。
会計士でありワインバイヤーでもあったエド・セリエムとサンフランシスコ・クロニクル新聞の印刷工であったバート・ウイリアムズという2人が、仕事の片手間に、車が2台入るか入らないかの小さなガレージで初めてワインを仕込んだのは1979年です。
それからわずか10年余のうちに、ウイリアムズ・セリエムのワインは今のような世界的「カルト」ワインの評価を受けるようになりました。そしてセリエムの世界的評価が、ソノマ・ロシアンリバー地区を世界でも指折りのピノ・ノワールの産地として有名にしたといっても過言ではないでしょう。
ウィリアムズ セリエムが世界的評価を受けるまで
ウイリアムズ・セリエムの最初のヴィンテージは、これまたソノマのカルトワインの生産者として有名なマルティネリが所有する、樹齢84年の畑(畑名はJackass Hill)のブドウで造ったジンファンデルでした。
その後サンフランシスコで有名な土地資産家であるハワード・アレンとの出会いをきっかけに、2人はロシアンリバー地区のピノ・ノワールに開眼しました。アレンが所有し、ジョー・ロキオリが管理していたロシアンリバー地区ウエストサイド・ロード沿いのブドウ畑(アレン・ヴィンヤード)とロキオリ個人が所有していた畑(ロキオリ・ヴィンヤード)のブドウを使ってピノ・ノワールを造り始めました。
それ以降、フェリングトン、コーストランズ、プレシャス・マウンテンといった第一級のヴィンヤードと次々に契約を結び、この地区でのピノ・ノワール造りに専念していきました。
各テロワールの特徴が最大限に引き出され、ドラマティックで凝縮力のあるそれらワインはたちまちのうちに人々の間で評判になり、そして1987年のカリフォルニア・ステート・フェア・ワインコンペティションで、初めて出品した1985ロキオリ・ピノ・ノワールで「ワイナリー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれると、ウイリアムズ・セリエムは世界でも5本の指に入るピノ・ノワールの生産者として評されるようになりました。
また、ウイリアムズ・セリエムのフラッグシップでもある、「シングルヴィンヤードシリーズ」はロシアンリバーを中心としたソノマ地区等の著名な栽培農家のブドウから造られます。
長期契約を結び共同栽培をすることで、安定した品質と量を確保すると同時に、各ヴィンヤードの素晴らしいテロワールをボトルの中に再現することが可能になりました。
ウイリアムズ・セリエムの名声は、他でもなくこれら契約栽培農家の方々に支えられています。「ブドウからワインへ」テロワールの素晴らしいリレーションです。