シャトー ラグランジュChateau Lagrange
シャトー・ラグランジュの早わかりポイント
- メドック格付け3級、17世紀から続く名門シャトー
- 日本の飲料大手サントリーが、巨額を投じてシャトーを再興
- 欧米以外の企業が初めて経営にあたったシャトー
- ワッシーズではサントリーのグループ会社『ファインズ』からの直接買い付け!
- 目指すスタイルは「果実味があって、エレガント。飲んで素直に美味しいワイン」
日本企業サントリーが復活させたボルドーの一流シャトー
シャトー・ラグランジュは、ポーイヤックの力強さと、マルゴーのエレガンスを兼ね備えると言われるサン・ジュリアンの地で、17世紀から続くメドック格付け3級の名門シャトーです。
シャトー・ラグランジュの経営は、1980年代より日本の飲料大手サントリーによってなされています。欧米以外の企業がシャトー経営にあたったのは、サントリーが初めてです。
現在、社長兼ワインメーカー マティウ・ボルドのもと、偉大なテロワールのポテンシャルを最大限に引き出すワイン造りを徹底的に追求。2005年にはテラ・ヴィティス※の認証を取得など、自然との調和を重んじ、環境負荷の少ないグランヴァン生産に取組んでいます。
シャトー・ラグランジュが目指すワインのスタイルは「果実味があって、エレガント。飲んで素直に美味しいワイン」であること。そして、「消費されるグランヴァンの最高峰」となること。
ボルドーの入門として楽しめるような、長熟させず、早めに開けても美味しいワインづくりにもチャレンジしています。
ワッシーズでは、シャトー・ラグランジュを経営しているサントリーのグループ企業で高級ワインを扱う『ファインズ』から直接買い付ける王道ルートで販売しております。
※テラ・ヴィティス・・・「自然環境に配慮した栽培」を基本理念として、1998年に誕生した全フランス規模の団体。
シャトー・ラグランジュのはじまり
「ラ・グランジュ」というのは「自立した小さな集落」の意味。シャトーの歴史は古く、17世紀のワイン地図に、すでにその名が登場しています。
大のワイン好きであり、のちに第3代アメリカ合衆国大統領となるトーマス・ジェファーソンは、1787年のアメリカ合衆国駐フランス大使時代に個人的な格付けとしてシャトー・ラグランジュを第3級に分類しています。
シャトー・ラグランジュにとっての初期の黄金時代と呼べるのは1842年から1875年。
その当時、シャトーの所有権はデュシャテル伯爵にありました。デュシャテル伯爵は、フランス国王ルイ・フィリップのもとで内務大臣を務めていた人物で、シャトーの運営においても先見の明に長けており、シャトーは当時のボルドーでも指折りの規模の醸造設備が整えられました。
伯爵は、畑の土の中に素焼きの土管を埋め込み、水はけを良くする設備も考案。生産量も大きく伸ばし、生産量を300トノー(36万本)にまでになりました。
当時伯爵の右腕となって働いたのが、ムートン・ロスチャイルドの責任者でもあり、シャトー・ラグランジュの管理人を務めていたガロス(Galos)です。デュシャテル伯爵は、彼のサポートを受けながら、シャトー・ラグランジュを頂点に君臨する存在へと育て上げていきました。
そして1855年、パリ万博の時に制定されたボルドー・メドックの公式な格付けで「グランクリュ第3級」として格付けされたのです。
シャトー・ラグランジュ暗黒の時代
デュシャテル伯爵の手腕で全盛期を迎えたシャトー・ラグランジュでしたが、その名声は次第にかげりを見せはじめます。
1867年、デュシャテル伯爵の死後、夫人が所有権を引き継ぎますが、彼女はすでに高齢だったため、二人の子供たちに助けられながらシャトー運営を続けるも売却に至ります。 1875年にLouis Mouicyの手に渡った後、1925年、なったスペイン系のCendoyas家の手に渡りました。
しかし、その後に待ち受けていたのは暗黒の月日。1929年の世界大恐慌、続く戦争で経済的な没落に追い込まれてしまいました。畑は切り売りされ、シャトーは荒廃し、当然ワインの品質も低下していきました。
サントリーによる復活
そんな中1983年、日本の飲料大手サントリーがシャトー・ラグランジュを買収し、経営に参画。欧米以外の企業がシャトー経営にあたったのは、この時が初めてでした。
買収当時の面積は157ヘクタール、ぶどう畑は56ヘクタールにまで縮小された状態。ブドウ畑の半分が放棄され荒れ地となっていましたが、幸運なことにポテンシャルの高い畑は切り売りされずに残っていました。
シャトー・ラグランジュ復活の立役者となるのが、当時のサントリー社長・佐治敬三氏と副社長・鳥井信一郎氏。驚くことに、買収額の3倍以上もの資金を投じてワイナリーの再興に乗りだりました。
ワイナリーの抜本的な再編を進めるにあたって、かつてボルドー大学で醸造研究所長を務めていた醸造学者で、シャトー マルゴーの再生も成し遂げていたエミール ペイノー博士に協力を要請。ペイノー門下生でボルドー醸造学研究所出身のマルセル デュカス氏が社長に、同じくペイノー氏の元で学んだサントリーの鈴田 健二氏が副会長に就任しました。
初期の10年間はチーム一丸となって大規模なドメーヌの改革プロジェクトに取り組みました。荒れ果てた畑に改植を行い、醸造設備も一新。シャトーのシンボルといえる城館や庭園の修復まで徹底的な大改革に取り組み、シャトー・ラグランジュは、ようやくグランクリュ シャトーとしての名声を復活させることができたのです。
サントリー買収直後に植えた60ha以上の苗木は樹齢が上がり、今ではグランヴァンの平均樹齢は約45年、セカンドですら約30年に。2級にも負けない、テロワールの魅力が凝縮した、偉大なワインを生み出すようになりました。
少しづつ変化するブレンドと、変わらないコンセプト
サントリーが経営に参画した1983年以降、シャトー・ラグランジュの造るワインの品種構成は少しずつ変化しています。
1980年代、シャトー・ラグランジュのワインはカベルネ約55%、メルロ約45%という構成でした。
1988年、当時の社長マルセル デュカスはプティ・ヴェルドを一番良い区画に植えることを決めました。プティ ヴェルドをブレンドに加えると、骨格が補助されるためワインは見違えます。
2006年以降は、カベルネソーヴィニヨンの割合を増やし続け、最近のヴィンテージでは平均すると70%を超えています。2019年は80%を超え、これは1級シャトーや、他の2級、3級のシャトーと比べても極めて高い割合です。
このような、ブレンドの変化について、現社長兼ワインメーカーのマティウ・ボルドはこう語っています。
“私たちはラグランジュのスタイルを変えたとは思っていません。コンセプトはそれぞれの区画で最適な品種を育てること。そこにはもちろん私たちの知識、技術、設備、温暖化の影響などがあり、それらを考慮するとカベルネはメルロよりも、よりラグランジュに必要な役割を果たすようになってきました。目指すのはリッチでジューシーかつしっかりとした骨格といきいきとした酸があり、サン・ジュリアンというテロワールを真に表現するワインです。”
シャトー・ラグランジュの手掛けるワイン
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シャトー・ラグランジュ
シャトーのフラッグシップは、芸術的ともいえるバランス感を持ちます。シャトー・ラグランジュで栽培している黒ぶどう品種3種(カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロ、プティ・ヴェルド)すべてを精巧に組み合わせて生まれます。若い段階ではたくましさと華やかな風味が印象的で、ゆっくり穏やかに熟成が進むにつれて繊細で芳醇な味わいへと変化します。
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レ フィエフ ド ラグランジュ
ファーストヴィンテージは1983年。シャトー・ラグランジュのセカンド・ワイン。セカンドとはいえ、その品質基準は非常に高く、クオリティは十分に他の格付けシャトーに匹敵します。シャトーものに比べるとやや軽い感じですが、それだけに若いうちでも充分に楽しめます。原料に使われるぶどう樹は、若株とはいえ平均樹齢30年。カベルネ・ソーヴィニヨンは砂利質の土壌、メルロの一部は粘土質の土壌で栽培しています。
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レ ザルム ド ラグランジュ
ファーストヴィンテージは1996年。当時のメドックでは大変珍しかった、樽発酵・樽熟成の白ワインです。セミヨン特有の高い粘性とソーヴィニヨンのみずみずしさとが見事な調和を奏で、繊細かつはつらつとした風味が楽しめます。爽やかなスタイルが魅力的なワインです。「レ・ザルム」とは、シャトーの池に咲く白い花(オランダカイウ=日本ではカラー)のこと。その花の名に由来しています。
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レ フルール デュ ラック
2011年より造られているレ ザルム ド ラグランジュのセカンドワイン。「湖の花」の意。厚みと酸味のバランスが良く、程よいボリューム感のある辛口の白ワインです。
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ル・オー・メドック・ド・ラグランジュ
シャトー ラグランジュがつくりあげた新しいブランド。オー・メドック地区に新たに購入した畑でつくったぶどうを使い、シャトー・ラグランジュが誇るノウハウと理念がふんだんに生かして造り上げます。果実味に富み、エレガントでやわらかな口当たりに仕上がっています。「いま開けて、飲んで美味しい」、新しいボルドースタイルです。