リッポンRippon
カリスマ的醸造家ニック・ミルズが手掛けるビオディナミ農法のピノ・ノワール
1974年、ニュージーランド南島の南端、セントラル・オタゴのワナカの一族が所有する土地へ戻ってきたロルフ・ミルズは、まず実験的にヴィティス・ヴィニフェラのブドウを植えてみたといいます。
その後、専門家の反対を受けつつも、気候的なデータに勇気づけられ、1982年に商業用のブドウ畑を開墾。1989年に最初のワインをリリース。これがセントラル・オタゴにおけるワイン造りのパイオニア、リッポン・ヴィンヤードの始まりです。
醸造家ニック・ミルズは元世界的スキーヤー
セントラル・オタゴのパイオニアの一人であるロルフは、残念ながら2000年に死去。現在、リッポン・ヴィンヤードのワインメーカーは息子のニック・ミルズが担当しています。
彼はフリースタイル・スキーの選手として知られ、21歳の時に国内チャンピオンに輝いたほどの腕前。1998年の長野オリンピックでも期待されましたが、数カ月前に膝を痛め、残念ながら夢は打ち砕かれました。
その年に彼はフランスへと渡り、4年間、ジャン・ジャック・コンフュロンやドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティで修業。2002年にリッポンに戻り、ワイン造りの指揮をとることとなったといいます。
リッポンの畑について
リッポンの畑の土壌の特徴はシスト。火山性土壌が強い圧力で整形された岩ですが、特にこのリッポンの畑はその種類が多様です。1982年に植樹した時点では30種類ほどのぶどう品種を試しに栽培していましたが、年月をかけ、土壌や気候に合った品種が徐々に増えてきたといいます。
ジュネスは、2000年、2001年、2006年に植えられた樹の葡萄から造られます。2000年よりも前のものがマチュア・ヴァインとして使用されていましたが、樹齢が高くなってきたため、マチュアでも使われ始め、ジュネス用のブドウが減ってきているそう。
ニックは2003年からのビオディナミ農法と、新世界では珍しく灌漑によらないブドウ栽培を実践しています。リッポンのテロワールに忠実なワインを生み出すことに取り組み、彼の手がけるピノ・ノワール、リースリング、ゲヴュルツトラミナーなどのワインは、世界で高い評価を受けています。
リッポンの畑はいまだフィロキセラの被害を受けていない、世界でも数少ない畑でもあります。
セントラル・オタゴはピノノワール好適地
南島の南部という、ニュージーランドでは最も高緯度の内陸に位置するセントラル・オタゴ。寒暖の差がはっきりとし、ほとんど大陸性気候といって良いこの地では、ぶどう樹も、平均100日といわれる生育サイクルより長い日数を必要とし、ゆっくりと成長します。このような条件からピノ・ノワール種の好適地として注目を集めています。
【2011年7月にハダノリがリッポンのワイナリーへ訪れた際のコメント】
4年ぶりに訪れたリッポンには、なんと、すてきなファンクションビルディングができてました。
ちなみに、リッポンのワイン作りとブドウはまったく変わってませんでした。ニックはちょっと大きくなってたけど(笑)そして、彼のブドウ栽培やワイン作りに関する話しは、今回も本当に面白かったです。
リッポンのピノノワールは、セントラルオタゴのスタイルとは全く違う。果実味のパワフルさよりも、土っぽさや、気持ちの良い酸の香りがする。個人的には、あまり使いたくない言葉だけど、きっとブルゴーニュスタイル。って言うんよね。