ジャムシードJamsheed
古代ペルシアの伝説によると、ペルシアのジャムシード王はワインの入った杯を通して彼の王国をすべて見通せたといいます。生の葡萄を好んだ王はいつでも食べられるようにと冬の間も壷に葡萄を入れ保管していました。言うまでもなく葡萄は自然に発酵し、それは“毒”と思われそのままになってしいました。
ある日、王のハーレムで仕える女の一人が偏頭痛に悩まされており、いっそ死んでしまおうとその毒を飲んだところ、今まで悩んでいた頭痛が嘘のように治ってしまいました。すぐにその事を伝えると王は大喜びし、それからはせっせとこの「毒」を造らせました。これがワインの誕生と言われています。
オーナー兼ワインメーカーであるギャリー ミルズは、一昔前からオーストラリアワインに冠されるカンガルーやコカトゥー(オウム)と言った名前に辟易としており、国際的に通じる名前を自分のワインへ着ける事を昔から考えていました。
西オーストラリア生まれのゲイリー・ミルズは、大学では文学を専攻し卒業後、若き日に村田製作所の実業団に所属し、島根県に住んでいた彼は広島カープのプロテストを受ける程の逸材でしたが肩の故障により英会話の教師となりました。オーストラリアに帰国後クイーンズランドで日本語ツアーガイドの仕事をしていた際、突然思い立ち、マーガレットリヴァーの畑で働き始めた。
その後5週間のつもりで収穫時に参加したカリフォルニアのリッジ・ヴィンヤーズ(Ridge Vineyards)にて、ワインメーカーのポール・ドレイパーのもとで結局、正規のスタッフとして2年間ワインメイキングに携わる。
その後、オレゴンやオーストラリアのさまざまな地域で経験を積み自分のブランドである「ジャムシード」を2003年に立ち上げた。彼のワイン造りはヴィクトリア州の単一畑シラーと個性豊かなアロマティック・ホワイトに目を向けている。
そのスタイルは繊細にして優美。今やニューヨークタイムズ紙が、オーストラリア最良の生産者として特集する程に世界から注目される存在になりました。
ヤラ・ヴァレーの新世代の小規模生産者グループSouth Packのメンバーで、オーストラリアワイン界のニューリーダーであるゲイリーは、畑の個性を表現し手をかけ過ぎないワイン造りをモットーとしている。その通り彼のワインは上品で土地の個性が存分に表れている。
日本で最も影響力があるバイヤーの一人、大橋健一氏がYOMIURI ONLINEの記事の中で「ジャムシードのシラーが2010年に飲んだワインの中で最も素晴らしかったと」評していたので、試してみたところ世界がひっくり返るほどの衝撃を受けた!大橋氏は、鋭い味覚の持ち主で、二人しかいないマスター・オブ・ワインをもつ日本人の一人だ。
ジャムシードのワインメーカー、ゲイリー・ミルズは、気分屋でセミプロの野球選手でもあり、大の日本びいきだ。 今回ワインダイヤモンズの為特別に、単一畑のシラーとリーズナブルレンジのいわゆるがぶ飲みワインを少しだけ分けてくれた。ゲイリーは(オーストラリアスタイルの)シラーズではなく、シラーをつくることにこだわっている。彼にとって自分のワインを「シラー」と呼ぶこだわりは、暖かい気候から生まれるパワフルなモンスターワインから、大型の古樽、野生酵母、特別な斜面にある畑から造られる野性味溢れ、魅力的名ボディを醸し出すワインのスタイルへの転換という強い決意を意味するのだ。