リッジ ヴィンヤーズRidge Vineyards
リッジ・ヴィンヤーズの早わかりポイント
- 大塚製薬が保有するカリフォルニアの名門ワイナリー
- パリスの審判30周年記念テイスティングで赤ワイン1位に輝いたのはモンテベロ1971
- ホワイトハウス公式晩餐会でも使用される外交の場を彩るワイン
大塚製薬が保有!世界を魅了する最高峰のワイン
リッジ・ヴィンヤーズは、米国カリフォルニア州を代表する名門ワイナリー。1986年からは大塚製薬株式会社が保有しています。
2006年、ブッシュ大統領が当時の小泉首相をもてなしたしたホワイトハウス晩餐会においてリッジ・リットン・スプリングス2004がサービスされるなど、リッジのワインはかねてからホワイトハウスの晩餐会で使用されています。
その名声はアメリカ国内のみならずヨーロッパにも轟いており、世界最高峰のワインを安定的に産み出すワイナリーとして、絶え間ない賞賛を浴び続けています。
リッジ・ヴィンヤーズが手掛けるワインに用いられるブドウは、カベルネ・ソーヴィニョンほかボルドー原産の黒ブドウ数種と、アメリカを象徴する黒ブドウのジンファンデル、そして白ワインの女王シャルドネなど。ワイナリーは2箇所、サンフランシスコの南、シリコン・ヴァレー近くのサンタ・クルーズ山脈中と、サンフランシスコの北、ジンファンデルの本場ソノマ郡にあります。
リッジ・ヴィンヤーズでのワイン造りは、伝統的な手法を重視しており、ブドウ栽培、ワイン醸造の両面において極力自然なプロセスを導いてやるというアプローチ。単一畑が持つ「その土地らしさ」の表現にも、創立以来一貫してこだわり続けており、ワインのほとんどに単一畑名が冠されています。
また、リッジの象徴と言えるのが不世出の天才醸造家ポール・ドレーパー。2015年には著名ワイン誌“デカンター”からトップ5醸造家に選出されるなどワインに関する世界の主要な賞を総ナメにする名醸造家で、40年以上にもわたって、極めてバランスに優れ、長い寿命を持つ卓越したワインを造り続けてきました。
2016年、ポール・ドレーパーは醸造責任者を引退。現在は長年リッジ・ヴィンヤーズを共に手掛けてきた仲間たちを会長職として支えています。
パリスの審判30周年記念テイスティングで、堂々1位に
パリスの審判(パリ対決)とは?
1976年5月24日に、イギリス人ワイン商のスティーヴン・スパリュアが行った伝説的なブラインドテイスティングのこと。
最高クラスのボルドー赤/ブルゴーニュ白と、カリフォルニアのカベルネ/シャルドネを、フランスワイン業界の重鎮たちが比較試飲・審査したのです。
当時のカリフォルニアワインはまったく無名の存在。誰もがフランスの勝利を信じて疑いませんでした。それにも関わらず審査の結果、赤ではスタッグス・リープ・ワイン・セラーズのカベルネ1973が、白ではシャトー・モンテリーナのシャルドネ1973がそれぞれトップに立ったのです。
このテイスティングの結果についてフランス人の審査員たちは、「カリフォルニアワインは熟成しない。30年後に同じワインを飲めば、フランスが勝つ」と述べていたといいます。
カリフォルニアワインの実力を世界に知らしめた、「パリスの審判」から30年経った2006年5月24日。30年前と同一ワイン・同一ヴィンテージを、再び利き比べする記念テイスティングが行なわれました。
2006年のテイスティングでもまた、スティーヴン・スパリュアが取りまとめ役を引き受けました。このときのイベントはロンドンとナパで同時に開催。英米各9名の審査員がブラインドで採点する形で行われました。
審査員の顔ぶれは、ヒュー・ジョンソン、ジャンシス・ロビンソン、マイケル・ブロードベント、ミシェル・ベタンヌ、フランク・プライアルなどなど、英米仏の高名なワインジャーナリストが中心となりました。1976年当時の審査員からは、元ラ・トゥール・ダルジャンのソムリエであるクリスチャン・ヴァンヌケと、著述家のミシェル・ドヴァスも参加しました。
このとき、古酒部門で一位に輝やいたのがリッジ・モンテベロ 1971年。
「カリフォルニアワインは熟成しない」というワイン業界の価値観が根底から覆された瞬間でした。
ちなみにこの日は、30年前と同じ古酒だけでなく、若いヴィンテージのワインについても、試飲が行われました。若いヴィンテージについては、米仏のワインを互いに競わせる形ではなく、別々に審査されたといいます。
この若いヴィンテージを対象としたテイスティングでも、カリフォルニア・カベルネ部門においてリッジ・モンテベロが1位を獲得しています!!
リッジ・ヴィンヤーズの歴史
リッジ・ヴィンヤーズは、1959年にスタンフォード研究所(SRI)で最先端の科学技術を研究していた4人の科学者たちが、19世紀に建てられたワイナリーとぶどう園を購入したことからスタートしました。
ここはかつて、サンフランシスコのイタリア人コミュニティの名士であり医師でもあったオセア・ペローネがブドウを植え、モンテベロ・ワイナリーを拓いた場所。しかしながら、フィロキセラや禁酒法などの影響で放棄されていました。
4人の科学者たちは当初、ここにワイナリーを造る予定はなく、定年退職後にそれぞれ家を建てて移り住むことを想定していました。しかし、収穫した少量のブドウを使って造ったワインの出来があまりにも素晴らしかったため、1962年にリッジ・ヴィンヤーズと名付け、ワイナリーを復興したといいます。
リッジ・ヴィンヤーズの初代ワインメーカーは、4人の科学者のうちの一人であるデビッド・ベニオン。そして年間生産量が3,000ケース弱に増えた1969年に、ポール・ドレーパーが事業に参加しました。
ポール・ドレーパーはスタンフォード大学で哲学を学び、チリの海岸沿いにワイナリーの設立を手掛けた醸造家。彼は正規の醸造学教育は受けていませんが、ワイン造りを実践の中で学び、高級ワインに関する知識と伝統的な手法を持ち合わせていました。
ポール・ドレーパーがワイナリーに加わることで、カリフォルニアでリッジ・ヴィンヤーズが先駆者として切り開いてきた「人の手を加えない」というシンプルなアプローチはさらに強まっていきました。
そして、ポール・ドレーパーの指揮の下に古いワイナリーは復元。安定した品質と世界的な評判を持つワインを確立しました。
そんな世界各国から注目されるワイナリーとなったリッジを、1986年に『大塚製薬』が購入。当時、オーナーである『大塚製薬』・大塚明彦氏はワイナリーの運営が今までと変わらずに行われることを望むと表明しました。
事実、リッジ・ヴィンヤーズは大塚製薬傘下に入ってもなお、オーナー企業からの威圧的な指示などに縛られることはなく、より良いワインを造り続けています。
リッジ・ヴィンヤーズに対する世界的評価
リッジ・ヴィンヤーズのワインや、リッジの象徴“ポール・ドレーパー”に対する評価は、パリスの審判だけではありません。
リッジ・ヴィンヤーズの主な受賞歴
- “ Top 100 Wines of the World2022 第45位/ モンテベロ2019”
ジェームス・サックリング - “ Top 100 Wines 2020 第3位/ モンテベロ2017”
ジェブ・ダナック - “トップ100ワイナリー2022” ワイン&スピリッツ誌
- “トップ100ワイナリー2021” ワイン&スピリッツ誌
- “トップ100ワイナリー2020” ワイン&スピリッツ誌
- “世界で最も賞賛されるワインブランド2019 第10位”ドリンクス・インターナショナル
- “世界で最も賞賛されるワインブランド2016 第3位”ドリンクス・インターナショナル
- “アメリカ最高のワイナリー101(2017)第1位”The Daily Meal
- “アメリカ最高のワイナリー101(2016)第1位”The Daily Meal
- “アメリカ最高のワイナリー101(2014)第1位”The Daily Meal
ポール・ドレーパーへの賞賛
- “Innovation + Quality生涯イノベーター賞 2018” ワインビジネスマンスリー
- “醸造家が選ぶ醸造家賞 2013”ザ・ドリンクス・ビジネス誌
- “ワインメーカー オブ ザ イヤー2006”サンフランシスコ クロニクル誌
- “マン・オブ・ザ・イヤー2000”デキャンタ誌
- “生涯功労賞2000”ワイン・スペクテイター誌
- “ワイン・メーカー・オブ・ザ・イヤー2000”Food & Wine Magazine
アメリカンオークへのこだわり
一般的に、アメリカンオークを使った樽熟成は、フレンチオークと比べて風味が派手とされ、ともすると「下品」と腐されることも。
しかしリッジにおいては、「アメリカのワインはアメリカンオークで熟成させるべきだ」という信念のもと、シャルドネを含むほぼすべてのワインをアメリカンオークの樽で熟成させています。
バーボンの熟成樽に用いられるような、キルン(熱窯)乾燥ではなく、フレンチオークと同じように、天日で乾燥させたアメリカンオークの樽材からは、下品な風味など少しも染み出てこないそう。そのため、リッジでは最低でも丸二年は天日乾燥させたアメリカンオークの樽材を使うようにしているといいます。