ダオDaou
ダオ・ヴィンヤーズの早わかりポイント
- 内戦下レバノン出身のダオ兄弟が掴んだアメリカン・ドリーム
- ワイナリーはかつてアンドレチェリチェフがコンサルタントを務めた歴史的ワイナリー跡地
- フラグシップは、現在までに、ワイン・アドヴォケイト95点以上を9回獲得する“ソウル・オブ・ライオン”
- ソウル・オブ・ライオン2017は米・富裕層向け雑誌“Robb Report ”が『2020年 世界のベストワイン16選』に選出
- リザーヴ・シャルドネ2018はWine Enthusiastが“世界のトップシャルドネ9選”に選出
世界で評価されるパソ・ロブレス発プレミアムワイン
ダオ・ヴィンヤーズは、レバノン出身のダオ兄弟が営むカリフォルニアのプレミアムワイナリー。内戦下のレバノンから逃れ、アメリカで成功を収めたダオ兄弟が、昔からの夢である『ワイン造り』のために2007年に設立しました。
ダオ・ヴィンヤーズがあるのはカリフォルニアのほぼ真ん中に位置するパソ・ロブレス。日本ではまだ知名度が低いパソ・ロブレスですが、近年はカリフォルニアの次世代の銘醸地として、頭角を現しています。
中でも、ダオ・ヴィンヤーズの手がけるワインは世界的に高い評価を獲得。フラッグシップのソウル・オブ・ライオンは、初リリースからワイン・アドヴォケイト誌96点の高得点を叩き出し、2022年現在設立からわずか13年の間にワイン・アドヴォケイト95点以上を9回も獲得。また、リザーヴ・シャルドネはWine Enthusiastが“世界のトップシャルドネ9選”に選出されるなど、ナパの高級ワインにも引けを取らない実力を発揮し続けています。
アメリカン・ドリームを叶えた兄弟が追いかける“ワイン造りの夢”
ワイナリーを創設したジョルジュ&ダニエル・ダオ兄弟は、最初からワインに関係する仕事をしていた訳ではありません。
レバノン出身のダオ兄弟は、1980年代初頭、アメリカンドリームを求めてカリフォルニアに移住。カリフォルニア大学サンディエゴ校に入学すると、兄ジョルジュは電気工学を、弟ダニエルはコンピュータ工学を学びました。
1989年、勤勉で成功への意欲にあふれた青年だったダオ兄弟は、自分たちの父がかつてレバノンで家業を起こしたように、“ダオ・システムズ”を設立。“ダオ・システムズ”は、病院のコンピューターシステムに変革をもたらすネットワーク技術企業として大成功を収め、1997年にはナスダックに上場を果たします。
アメリカンドリームを掴み、まさに順風満帆に見えたダオ兄弟。しかし1998年、彼らは会社を売却してしまいます。それは、ダオ兄弟の昔からの夢、自分たちのワイン造りにすべてを捧げるためでした。
ダオ兄弟がワイン造りを目指したきっかけ
ダオ兄弟がワイン造りを志したきっかけは幼少期に遡ります。
ダオ兄弟は、かつて“中東のパリ”と呼ばれた豊かな都市、レバノンのベイルート育ち。祖父の持つ古いオリーブ畑で過ごす、田舎のおだやかな暮らしが大好きでした。
しかしレバノンの内戦によって、世界は一変してしまいます。当時、ダオ兄弟の父は中東で最も成功した家具会社を経営していました。しかし、家族とともに戦火を逃れるため全てを捨ててフランスへの移住を余儀なくされたのです。
一家はパリに移住し、後に南仏のカンヌに移りました。ブドウ畑と何世紀にもわたるワイン造りの伝統に囲まれるこの地で、ダオ兄弟は初めてワインのある人生を夢見たのです。
その後、ダオ兄弟は大学へ進学のために渡米し、会社を興しますが、祖父のオリーブ畑やフランスのブドウ園で過ごした幼少期の思い出は、消えることはありませんでした。
ダニエルはシステム会社を経営する傍ら、何年もの間サンディエゴの田舎のガレージでワインを造り、1エーカーのブドウ畑でカベルネ・ソーヴィニヨンの手入れをし、ワイン造りの本を片っ端から読みました。
そして、自分がワインメーカーになる運命にあると信じ、それがこの瞬間なのだと立ち上がったのです。
世界中を巡りたどり着いたのは、アンドレチェリチェフも賞賛したパソロブレス
ワイン造りを決心したダオ兄弟は、自分たち理想とする畑を探し求め、世界各国を巡りました。600ヶ所以上のカベルネソーヴィニヨンの産地を訪れ、ついに見つけた場所こそが、ここパソ・ロブレスのアデレイダ地区にあるダオ・マウンテンだったのです。
ダオ・マウンテンの土壌は、サンテミリオン地区やボルドー右岸でよく見られる粘土石灰質土壌。そのため、カベルネ・ソーヴィニヨンをはじめとしたボルドー系品種の栽培に最適です。
さらに、標高2,200フィートというセントラルコーストエリアで最も高地にあるワイナリーでは、昼夜の寒暖差が大きく、この寒暖差がブドウの糖と酸がバランスの良の良いブドウを育てます。
ここは、かつてホフマン・マウンテン・ランチ(HMR)というパソ・ロブレスの歴史的ワイナリーがあった場所。伝説の醸造家アンドレ・チェリチェフは、この地の優れた地質、良好な微気候、高い標高といったワイン造りに適した環境を“生態系の宝庫”と賞賛しました。
実際、アンドレ・チェリチェフはホフマン・マウンテン・ランチのコンサルタントを務め、この地で造ったワインで国際ワインコンクール金賞の高評価を受けています。
パソ・ロブレスについて
スペイン語で“オークの路”という意味を持つパソ・ロブレス。位置するのは、カリフォルニア州の真ん中、ちょうどロサンゼルスとサンフランシスコの真ん中あたり。北隣にモントレー郡があります。
パソ・ロブレスが、AVAとして認定されたのは1983年。その頃、ワイナリーは17軒しかありませんでしたが、今では約200軒にまで増え、栽培面積は4万エーカーに上ります。
日本では、ナパやソノマほど知名度が高くないパソ・ロブレスですが、近年プレミアムワインの産地として注目されています。その証拠に2007年、有名なワイン評論家ロバート・パーカーはFood&Wine誌において、パソ・ロブレス・エリアはカリフォルニアの中でも最も大きな可能性を秘めていると語っています。
パソ・ロブレスといえばジンファンデルやローヌ系の品種をイメージするかもしれませんが、現在ではパソ・ロブレスで植えられているブドウの50%以上をカベルネソーヴィニヨンをはじめとしたボルドー系品種で占められています。
周囲の反対をよそに勝ち取った高評価
“パソ・ロブレスのアデレイダ地区で、ワールドクラスのカベルネ・ソーヴィニヨンとボルドー品種を造る”と決心したダオ兄弟でしたが、周りの評判は散々でした。
当時のパソ・ロブレスでは、ジンファンデルやローヌ系ブドウ品種が主流。そのため、周りからは『パソ・ロブレスででカベルネソーヴィニヨンを造る?しかも世界に通用するワインなんて!』と、異端児扱いだったそう。
そんな中でも、ダオ兄弟の父だけは違いました。
『行け、振り返るな。全速力でやれ!』
それからわずか3年後、ダオ・ヴィンヤーズのワインは初リリースと同時にワイン・アドヴォケイト誌の高得点を獲得。 ソウル・オブ・ライオンが初めて獲得した点数は、脅威の96点!ナパ産以外のカベルネ・ソーヴィニヨンの常識を覆し、パソ・ロブレス産カベルネの知名度を挙げた瞬間でした。
ワイン・アドヴォケイト誌のレビュアーを務めていたジェブ・ダナックは、2016年のワインレビューの中で『ダオ・ヴィンヤーズの品質の高さを証明するために、ナパのトップワインとのブラインドテイスティングを行った』と語っています。
ダオ・ヴィンヤーズのワインとの比較に使用したのはドミナスやスケアクロウ、ハンドレッドエーカーズ、シュレーダーなどのナパのカルトワイン揃い。もちろんどのワインもダオ・ヴィンヤーズの2倍以上する高級ワインです。
ブラインドテイスティングの結果、ダオ・ヴィンヤーズのワインはどのワインも90点超え。ナパの高級ワインと肩を並べる結果を残しました。
レビューの中でジェブはダオ・ヴィンヤーズのワインについて『私がこれまで試飲したパソ・ロブレスのカベルネ・ソーヴィニヨン100%のワインの中で最も素晴らしく、ナパの最高級品と肩を並べることができるだろう。』と絶賛しています。
ダオ兄弟の生い立ちを語る3つのワイン
ダオ・ヴィンヤーズのワインには、ダオ兄弟の生い立ちや家族を由来にしたワインが3つあります。
- ダオ・ロゼ
ダオ兄弟が青年時代を過ごした南フランスを思い起こす辛口ロゼワイン。ダオ・ヴィンヤーズでは、ロゼをつくる際には、プロヴァンスの製法に忠実に仕上げています。パソ・ロブレスのピュアな果実の特徴を示しながら、五感をプロヴァンスに誘うようなワインです。 - ソウル・オブ・ア・ライオン
ソウル・オブ・ア・ライオンはファーストヴィンテージから96点を叩き出したダオ・ヴィンヤーズの最高峰のワイン。ワインの名前はダオ兄弟の父ジョセフに由来します。このワインは、彼ら家族を内戦下から守り、勇気、信念、粘り強さを見せた父への敬意そのものなのです。 - ボディガード(赤・白)
ボディガードは、ダオ兄弟の母マリーへのオマージュ。マリーは、内戦という混沌下でさえ優美さを持ち、4人の子供たちへ愛と勇気をもって前途を照らし続けました。ダオ兄弟は、このワインの中に一筋の光を見出し、それが希望と決意につながることを願っています。
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