ビーヴァン セラーズBevan Cellars
ビーヴァン・セラーズの早わかりポイント
- 醸造経験ゼロのワインマニアが高得点連発の醸造家へ大転身!
- 2013年のプルミエ・ナパ・ヴァレー・オークションでは最高落札額7万5千ドルを記録
- 現在までに、暫定分も含む11のワインがワイン・アドヴォケイト(パーカー・ポイント)100点満点を獲得!
ワインへの熱い想いを持ったオタクが独学でワイン造りの道に
ビーヴァン・セラーズは2005年に創立したワイナリー。ナパ・ヴァレーやソノマのブドウ園から調達した最高のブドウを使って、高い評価を受けるワインを造っています。
オーナーでワインメーカーを務めるラッセル・ビーヴァンは、元々は熱心なワインフリークですが、ワイン造りについて学校などで学んだ経験はありません。
にもかかわらず、創設から8年後の2013年にはワイン・アドヴォケイト誌の100点満点を獲得!以降も暫定結果も含む11のワインで100点を獲得するなど、多くの評論家・評価誌から高い評価を受けています。
日本では、2016年ヴィンテージから正式輸入を開始。各ワインの生産量が非常に少ないため、日本への輸入は限定したアイテムのみとなっています。
インターネット黎明期にワインを通して培った多くのつながり
1990年代、ソノマ生まれのラッセル・ビーヴァンは、ミネソタ州ミネアポリスでデンタルケア製品の会社に務めていました。この時、後にビーヴァン・セラーズの共同経営者となる歯科衛生士のヴィクトリア・デ・クレシェンツォと出会います。
ワインを飲まない両親の下に育ったラッセルですが、自身は若い頃からワイン好きだったといいます。
ちょうどインターネット黎明期を迎えていた1990年代。ラッセル・ビーヴァンも、オンラインのワインフォーラムに時間を費やした草分けの一人として、インターネットを通じて多くのワイン愛好家と出会い、友人の輪を広げていきました。
また、ラッセルは趣味が高じてウェブのワイン・コラムを書いたり、取材やオフ会などを兼ねてナパ・ヴァレー、ソノマへ定期的にツアーを組み、様々なワイナリーを訪問。多くの醸造家達と出会ってはマニアックな質問をぶつけていたといいます。
このとき築いた、醸造家やぶどう栽培農家たちとのコネクションは、将来ワイン造りを始めるための基礎となりました。
ソノマへの移住から始まった初めてのワイン造り
2004年にラッセル・ビーヴァンたちはソノマに移住。
交流のあったカル・ショーケットが所有する、ナパヴァレー・オークヴィルの“ショーケット・ヴィンヤード”から葡萄を調達し、初めてのワイン造りを行いました。ここは、後にピーター・マイケルの自社畑“オー・パラディ”となる超優良畑です。
最初の葡萄が運びこまれた日、ラッセル・ビーヴァンは15人のワイン仲間に招集をかけました。当初、選果と破砕あわせてもせいぜい数時間以内にはおわるだろう。そうしたら、みんなで豪華なワインと食事を楽しもうと目論んでいました。
しかし、徹底的に未熟な葡萄の粒を取り除くことに注力した結果、すべてが終了したのは16時間後!当然全員が疲れ果ててしまい、豪華な食事のかわりにテイクアウトのピザを頼んだそう。
しかし、その当時から現在に至るまで、自分が造りたいワインを強く念頭に置き、葡萄の調達から、醸造に至るまで徹底的にこだわることがビーヴァン・セラーズのポリシーになっているといいます。
素人同然のビーヴァンを支えたは著名な醸造家たち
ラッセル・ビーヴァンは正式に醸造学校に行ったり、他のワイナリーへ研修に行ったことはありません。
しかし、ワイン愛好家時代に繋がった著名な醸造家たちが、ラッセルの強力なメンターとなりました。
ロバート・パーカー著『世界の極上ワイン』にも選出される“フィリップ・トーニ”からはワイン造りにおける細部にわたる配慮について聞き、プライド・マウンテンやアワグラスなど錚々たるワイナリーでワインメーカーを務めた“ボブ・フォーリー”からは、ラボに頼らずどのようにして葡萄の収穫時期を見極めるのかを知り、ソノマのカリスマワインメーカー、“グレッグ・ラフォレ”からはワイン造りにおいては、例え些細なことでも最終的にワインに多大なる影響を及ぼすため慎重に検討しなければならないことを学びました。
ビーヴァン・セラーズの公式デビューは2005年。Bevan Cellars Cabernet Sauvignon Oakville Showket Vineyard 2005 はファーストヴィンテージながらもワイン・アドヴォケイト93点、ワイン・スペクテイター93点の高得点を獲得しました。
資金ショート寸前の大ピンチを救ってくれたのはワイン仲間
順調にスタートしたかに思えるビーヴァン・セラーズですが、実際には最初の数年間の運営は簡単では無かったといいます。
裕福な家族から十分な資金的バックアップがあったわけでもない彼らにとって、大きな課題となったのは資金調達でした。特に世界的な景気後退の最中にあった2008年は、ブドウを購入する十分な資金がが無く、ワイン生産は断念しようかとすら考えていました。
その時救ってくれたのが友人でありビーヴァンセラーズの顧客でもあったエリック・エプスタインです。エリックは、ニュージャージーの自宅に友人を招き、ビーヴァン・セラーズを支援するパーティを開催し、資金を集めてくれたのです。
このことからエプスタイン氏に敬意を表し、スクリーミング・イーグルの隣にある銘醸畑“Tench vineyard”の畑から造ったワイン“EE ”をビーヴァン・セラーズのラインナップに加えるようになったそうです。
ピンチを乗り越えついに100点満点獲得の偉業へ
栽培家やワイナリーオーナーと密接な関係を築き、ヴィンテージ毎に畑を増やしていった結果、単一畑名のワインを中心に、数種のマルチ・ヴィンヤードのボルドー品種のレッド・ワインや、ソノマやサンタ・リタ・ヒルズからシャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、ピノ・ノワール、シラーも造るようになりました。
2013年、ナパで開催される2つの有名なオークションイベントの一つ“プルミエ・ナパ・ヴァレー・オークション”では75,000ドル/120本で落札最高額を獲得。
同年、雨が多く気温も低かったため難しい年だったとされている2011年ヴィンテージにもかかわらず、遂にワイン・アドヴォケイト(パーカー・ポイント)100点を獲得しました。
その後も2017年ヴィンテージまでに確定・暫定を含めて11のワインでワイン・アドヴォケイト100点を獲得。95点以上を獲得したワインは107にも及びます。
ビーヴァン・セラーズは素人から100点満点ワインを造り上げるという離れ業をやってのけたのです。