ポール ラトーPaul Lato
ワイン・アドヴォケイト誌などで高得点を連発する超有名ワインメーカー
ポーランド生まれのPaulLato(ポール・ラトー)氏はカナダでソムリエとなりましたが、ワインを作りたいとカリフォルニアに移り住みました。10年を経ないうちにワインアドヴォケイト誌等で高得点を連発し、今や毎年高品質のワインを生産するセントラルコーストの超有名ワインメーカーです。
PaulLato(ポール・ラトー)氏はポーランド生まれ。ヨーロッパの国々を経てカナダへ移り住み、トロントの有名レストランでプロフェッショナルなソムリエとして研鑽を積みました。ある日、飲んだAu Bon Climat(オー・ボン・クリマ)のシャルドネに心惹かれ、1996年、Jim Clendenen(ジム・クレンデネン)氏の招きでセントラルコーストを訪ねました。Jim Clendenen氏に「君はソムリエとして、もうこれ以上本を読んだりする必要はない。収穫の時にワイン造りを手伝って見なさい。そうしたら仕組みが理解できるから。」と言われます。トロントへ帰ったPaulLato(ポール・ラトー)氏は、アメリカへの移住が可能となるまで6年待ち、2002年にセントラルコーストへ移りました。
Bien Nacido Vineyard(ビエン・ナシード・ヴィンヤード)の共同所有者であるBob Miller氏に時給10ドルのセラーラットの仕事と住まいを面倒見てもらい、PaulLato(ポール・ラトー)のワインメーカーとしての経歴がスタートしました。Au Bon ClimatやQupeでも働き、2002年に初めてのワイン6樽(ピノノワール3樽、シラー3樽)を作りました。そこへRobert Parker(ロバート・パーカー)氏がやって来て、「ワインを作るソムリエと言うのは君か。自分はテイスターだから何でも試飲する。君のワインを試飲してみたい。もし出来が良くなければ、そう言う。」と声を掛けました。そして、Parkerは試飲した後、「ワイナリの名前は、もう決めた?君は、とても素晴らしい才能を持っている。もしまだなら、早く決めなさい。私は君のワインを紹介する最初の人になりたい。」と言いました。PaulLato(ポール・ラトー)氏はそれを聞いて涙がでるほど嬉しかったそうです。
以降、Robert ParkerのWine Advocateで連続して高評価を受け、注目される様になりました。全米で最も予約が取れないと言われるミシュラン3つ星The French LaundryのThomas Keller氏、Pisoni EstateのGary Pisoni氏などもPaul Latoを応援し、Central Coastを代表するワインメーカーになりました。しかし、1種類のワインが200ケース程度の少量生産のワイナリーです。大半はメーリングリストで販売されるか、有名レストランへ販売され、一般のショップにはほとんど流通しません。PaulLato(ポール・ラトー)氏は日本文化への感心が大きく、少ない生産量の中から日本へ輸出を行ってくれています。
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