アミューズ ブーシュ ワイナリーAmuse Bouche Winery
アミューズブーシュの早わかりポイント
- タイム誌がナパ・ワインの女神と呼ぶハイジ・バレットが手掛けるナパカルト!
- ヴィンテージごとに異なる有名画家による芸術的なワインラベル
- デキャンタ誌が世界6大メルローとして、ペトリュスやオルネライアと共に掲載
ペトリュスやル・パンに匹敵!!
『ワインの女神』ハイジバレットが造るナパ・メルロー
アミューズ・ブーシュは、タイムマガジンに「ナパワインの女神(Diva)」と称される伝説的女性ワインメーカー、ハイジ・バレットとハイジの長年の友人でありレストラン事業を展開するジョン・シュワルツによるワイン・プロジェクト。
ペトリュスやル・パンに匹敵するポムロール・スタイルのナパ・メルローを生み出すべく、2002年にアミューズ・ブーシュは誕生しました。
リロイ・ニーマンやウェイン・ティーボーといった有名アーティストによる芸術的なワインラベルもアミューズ・ブーシュの魅力のひとつ。
毎年変わるラベルの美しさと、ハイジ・バレットが造り出すエレガントなワインにより、瞬く間に有名になりました。
2017年にはデキャンタ誌に、世界的に有名な6つのメルローワインとして、ペトリュスやオルネライアなどと共に掲載されています。
自社畑はラザフォードの東丘陵にあり、標高約200m。火山灰が凝固したトゥーファと呼ばれる気泡の空いた塊が点在する斜面の畑です。水はけがよく、森林や鉱物のミネラル感が現れ、ハーブやスパイス感も特徴的に表現されます。
ハイジ・バレットはこの畑の場所を明確にはぜず、「シークレット・ヴィンヤード」と呼んでいます。
『ワインの女神』醸造家ハイジ・バレットの華麗なる経歴
ボーリュー・ヴィンヤード等でワインメーカーを務めた父リチャード G. ピーターソンと、画家であった母ダイアンの下に生まれたハイジ・バレット。
彼女が、ワインとアートが融合した“アミューズ・ブーシュ”を手掛けたのは必然かもしれません。
進んだのは醸造家である父と同じワインの道
高校生の時から、ワイナリーやブドウ畑であらゆる仕事をこなしてきたハイジは、カリフォルニア大学デービス校へ入学。1980年には醸造学の学士号を取得しました。
当時、醸造を志す女性はまだ少なく、30人いた同級生の中でも女性はたったの4人だったといいます。
卒業後は、シルバーオークを創業し、“ミスターカベルネ”と呼ばれたジャスティン・メイヤーや、フリーマークアビーで醸造を手掛けたジェリー ルーパーなどの著名なワインメーカーの下で研鑽を積みました。
数々のカルトワインを手掛けるスターワインメーカーへ
そして1983年、弱冠25歳にしてビューラー・ヴィンヤーズのワインメーカーに就任。
ハイジ・バレットは、ビューラー・ヴィンヤーズのワインの品質を大幅に向上させ、生産量を6,000ケースから20,000ケースに引き上げることに成功。この時、ハイジは初めて批評家の称賛を浴びることとなりました。
ビューラーのワインメーカーとして5年が経過した1988年、30歳になったハイジ・バレットは、ワインコンサルタントとして独立しました。
最初のクライアントはダラ・ヴァレ。ここでもハイジは、能力を遺憾なく発揮します。
手掛けたのは、有名カルトワイン「マヤ」などのパワフルかつエレガントなカベルネ・ブレンド。ダラ・ヴァレを去る1996年春までの間、有名評論家ロバート・パーカー氏が100点満点を付けた2つのワインを含む多くの高評価ワインを生み出しました。
また、ダラ・ヴァレのオーナー、グスタフ・ダラ・ヴァレからの紹介で醸造を手掛けたスクリーミング・イーグルでは、ファースト・ヴィンテージをからパーカー99点を獲得し、たちまちカルトの地位を確立。
2000年のナパ・ヴァレー・ワイン・オークションに出品された1992年ヴィンテージの6リットル ボトルは、500,000ドルで落札され、当時1本のワインに支払われた最高価格の世界記録を打ち立てました。
ダラ・ヴァレやスクリーミング・イーグルで素晴らしいワインの数々を造るハイジ・バレットは着実にスター・ワインメーカーの道を進みます。以降も、数々の有名ブランドでワイン造りを担当。
ロバート・パーカーからは「ワインのファーストレディ」、またタイムマガジンには「ナパ・ヴァレーの女神」と絶賛されています。
ハイジ・バレットがワインメイキングに携わってきた主なワイナリー&ブランド
ダラ・ヴァレ、スクリーミング・イーグル、パラダイム、ケンゾー・エステート、オー・ソメ、ジョーンズ ファミリー、グレース ファミリー、ヴィンヤード 29、デビッド アーサー、バーバー ヴィンヤーズ、ショーケット