カレラ・ワイン・カンパニーCalera Wine Company
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- ワイン評論家ロバート・パーカーが“カリフォルニアのロマネ・コンティ”と称賛
- 創業者はワイン愛が強すぎた男、ジョシュ・ジャンセン
- 探し出すまでに2年半!地図を片手に見つけた理想の石灰岩土壌
- 辺境の地マウントハーランAVAで唯一の商業ワイナリー
- “ロマネ・コンティがルーツ”と噂の秀逸ピノ・ノワール
ブルゴーニュワインを愛した男が作った“カリフォルニアのロマネコンティ”
『カリフォルニアのロマネ・コンティ』というキャッチフレーズが有名なカレラ。創業者ジョシュ・ジャンセンが、ブルゴーニュの生産者から影響を受け設立したワイナリーで、エレガントなピノノワールやシャルドネが世界中で愛されています。
実は『カリフォルニアのロマネ・コンティ』という言葉は、ワイン評論家のロバート・パーカー jr.氏によるもの。2003年に、カレラのピノノワールを垂直試飲した際に記事つけたタイトルでした。
記事の中でパーカー氏は『カレラは新世界のみならず地球上で最も魅力的なピノ・ノワールのスペシャリスト』と大絶賛したことから、カレラの人気に火が付きました。
カレラはロバート・パーカー以外にも、ザ・デイリー・ミールが選ぶ“アメリカ最高のワイナリー101”に3年連続上位入賞、ワイン&スピリッツ誌“ワイナリー・オブ・ザ・イヤー”に6度に渡り選出されるなど、ワイン専門家からの高い評価を受け、ワイン愛好家にも愛されてきました。
長きに渡って人気を誇るカレラですが、創業者のジョシュ・ジャンセンに後継者が居なかったことから、2017年、友人でワイナリーを所有するダックホーン夫妻にワイナリーを譲渡しました。
しかし、ジョシュの手を離れたあとも、カレラのスタッフはワイナリーに留まり、2007年以来ジョシュと共にワイン造りを行ってきたマイク・ウォーラーが引き続きワインメーカーを務めるなど、ワインの品質に変わりはありません。
2021年には“ワイン&スピリッツ誌のTOP100 ワイナリー”に選出されており、カレラはますます私達を楽しませてくれるはずです。
カレラ創業者はワイン愛が強すぎた男、ジョシュ・ジャンセン
カレラの創業者で、カリフォルニアワイン業界のレジェンドでありパイオニアでもあるジョシュ・ジャンセンは、それまでは見向きもされなかったカリフォルニア・ピノノワールを、世界的に評価される品種に押し上げた立役者です。
ジョシュは、当時『美味しいピノノワールを造ることは不可能だ』と言われてきたカリフォルニアの地で、素晴らしいピノノワールが造れることを証明してきました
その功績から、2013年には世界的に影響力のあるワイン雑誌“ワインスペクテイター誌”の表紙を飾り、2017年にはサンフランシスコ・クロニクル誌“ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー”の栄誉を手にしています。
ワインスペクテイター誌の記事によると、ジョシュ・ジャンセン氏は知的で経験豊か、すこし気難しい部分もあるが、ウィットに富んだ人柄。実際、ワッシーズに訪問いただいた際は、とても紳士的でダンディーな印象を受けました。
知的で華やかな経歴を持つジョシュ・ジャンセンですが、ここに来るまでには長きに渡る大変な苦労がありました。
理想の土地探しから始まったワイン造りが成し遂げられた理由の一つには、ジョシュのワインに対する深い愛と、犠牲をいとわないワイン造りへの執着があったのかもしれません。
理想の地を探す途方もない旅
歯科医の息子として育ったジョシュ・ジャンセン。彼をワインの世界へと導いたのは、父の歯科医仲間だったジョージ・セレックでした。
熱心なワインコレクターだったジョージ・セレックのおかげで、ジョシュは21歳になる頃までにはリシュブールやロマネコンティを始めとしたフランスの超一流ワインの数々を味わうことができたといいます。
ジョシュのワイン好きは、イェール大学に通う頃にはもはや趣味の域を超え、渡英してオックスフォード大学に進学する頃にはすっかりワインオタクになっていました。特に彼を深く魅了したのは、ブルゴーニュの赤ワインだったといいます。
しかし、人類学の修士号を取得したころ、卒業後の人生について思い悩むようになりました。
野心もなく、なりたいものも無かったジョシュ・ジャンセン。しまいには成りたくない職業をリストアップしていく始末・・・。何度も何度も自問自答しているうちに、ジョシュは『自分が本当に好きなことを追求しよう』と決意します。そして、それこそが“ワイン”だったのです。
そうと決めたら行動は早く、1970年にブルゴーニュで最も有名な生産者『ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ』の門を叩き、収穫作業を買って出ました。当時は、セラー責任者アンドレ・ノブレの英語通訳を兼ねていたので、来客に立会、試飲をする機会にも恵まれたといいます。また、翌年には設立されたばかりのドメーヌ・デュジャックで働き、オーナーのジャック・セイスと懇意に。偉大なピノノワールへの理解をさらに深めました。
ジョシュは、ブルゴーニュのドメーヌで働き、醸造家と出会う中で、『素晴らしいピノノワールやシャルドネの秘密は、石灰岩の豊富な土壌にある』と確信。このように偉大なブルゴーニュのワインスタイルを継承しつつ、世界で唯一のワインを造るという夢を実現するために、アメリカへ帰国しました。
1971年、アメリカに帰国したジョシュはフォルクスワーゲンのキャンピングカーを購入。カリフォルニアでの理想の石灰岩土壌を持った土地探しが始まりました。
しかし、ジョシュの突飛な計画を知った家族や友人たちは、一様に顔を見合わせたといいます。そこには2つの問題があったからです。
1つは土壌の問題。フランスでは豊富にあった石灰岩土壌でしたが、カリフォルニアにはほとんどなかったのです。あの銘醸地として有名なナパやソノマにも、です。
もう1つの問題は、ジョシュ自身にありました。彼には、ワイン醸造やビジネスの経験がなく、農業もしたことがありません。彼の唯一の資格は、ブルゴーニュを飲むのが好きなことと、ただそれだけでした。
誰もが失敗を確信する中、ジョシュは米国鉱山局の鉱物調査書や地形図を見ながら、車で候補地を巡りました。目的地に到着すると、土壌に塩酸を垂らして反応を見る。そんな日々が2年半も続いたある日、ようやく理想の土地が見つかりました。
1974年、ジョシュはついにブドウのための理想の土地を購入。サンフランシスコから南に150キロ、大西洋から40キロメートル内陸に入った、ガビラン山脈に位置するマウントハーランの急斜面。水も電気なく、道路も整備されていないような場所です。
この人里離れた場所で、妻と幼い子供とともにトレーラーで暮らしはじめました。
マウントハーランは19世紀に放棄された石灰岩の砕石場跡地でした。「カレラ」とはスペイン語で「石灰窯」の意味。当時、セメントやモルタルに加工するために石灰岩を焼成していた窯に由来し、ワイナリーのロゴにもこの窯が描かれています。
ちなみに、この辺鄙な場所はブドウにとっては最良の場所でしたが、家族にとっては必ずしもそうではなかったようで妻とは後に離婚してしまいます。
カレラのこだわりは土壌以外にも!
土壌ばかりがクローズアップされがちなカレラですが、ブドウの栽培や醸造にもこだわりをもって取り組んでおり、それぞれのブドウ畑の個性を引き出しています。
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グラビティ・フロー式ワイナリー
最初の2年間は近くのワイナリー(シャローン)に間借りしていましたが、1977年にワイナリー設備のための土地を購入。もともとは1950年代に急な斜面に建設された石灰岩の破砕工場だった場所で、建物は20年ほど放置されていたといいます。周りから見れば、廃墟同然の施設でしたが、ジョシュ自身は大喜び。というのも、斜面の勾配をそのまま利用したグラビティフロー(重力式ワイナリー)が半分実現していたから。この方法を取ることで、ポンプなどを使用することなくワイン造りが行えるため、ブドウの実やワインへのダメージを最小限に抑えることができます。
ボルドーでこの手法を取り入れたのは2000年代からですから、カレラでは、かなり早くから導入されていたことになります。
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カレラのワイン造り
ピュアで焦点のあったワインに仕上げるため、グラヴィティシステムを始めとした『できる限り人が手をかけないワイン造り』を行っています。ワイン造りに毎年決まったレシピはありませんが、シングルヴィンヤードのピノノワールの場合、ブドウの活力を引き出すためにほとんどのブドウは全房発酵。天然酵母で発酵します。こういったこだわりが、ブドウの本質とテロワールを表現することにつながっています。
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オーガニック認証期間CCOF認証のブドウ畑
カレラの自社畑は、2008年に米国のオーガニック認証期間CCOFから有機農法認証を受けたオーガニックなブドウ畑。害虫を減らすための益虫利用、カバークロップ(緑肥)を利用した土壌改良など自然な方法を使ったブドウ栽培が行われています。また、カレラのブドウは量より質を重視しているため、1エーカーあたりの収穫量が2トンを超えることはめったにありません。最高のブドウを実らせるため、ヴィンヤードスタッフは、一日に何度も畑の手入れを行いに畑に向かいます。
マウントハーランにあるカレラの自社畑
カレラの自社畑はモントレーの東25マイル、ガビラン山脈のマウント・ハーラン山中にあります。標高670mのマウントハーラン山中にという立地と、モントレー湾から流れ込む冷たい風の影響もあって、平均気温はCarnerosよりも5~6℃低く、カリフォルニアでも随一の冷涼場所でブドウが栽培されています。
マウントハーランは1990年にAVA認定を受けていますが、現在のところAVAマウントハーランを名乗る商業ワイナリーは唯一カレラのみ。
ちなみにジャンセンの畑に最初に植えられたピノノワールの樹は、ジョシュがDRCから持ち帰ったものではないかとひそかに噂されています。
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JENSEN(ジャンセン)
1975年に植樹した13.8エーカーのそれぞれ向きの違う4つの区画からなる畑。石灰質土壌。畑名は、ジョシュの父ステファン・ジャンセンに由来。バランスに秀でていて、リッチ且つまろやか。長期の熟成に適したピノノワールを生み出します。このワインを探す
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SELLECK(セレック)
1975年に植樹した4.8エーカーの南/南西向きの畑。畑名は、ジョシュをワインの世界に導いてくれた父の友人であり歯科医のジョージ・セレックに由来。 花崗岩が風化した砂状の地質と、石灰岩が露出した岩の多い畑。濃厚で複雑味があり、ブルゴーニュスタイルの素晴らしい香りと長期熟成の可能性を秘めたピノノワールを生み出す。このワインを探す
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REED(リード)
1975年に植樹した6.4エーカー北/北西向きの畑。畑名は、ジョシュの最初のビジネスパートナーであり親しい友人ウィリアム・ビル・G・リードに由来。 他のブドウ畑よりも粘土質が多い土壌。香り高く軽やかで、どこかエキゾチックな雰囲気を持ち、若いうちから楽しめるソフトな口当たりのピノノワールを生み出す。このワインを探す
- MILLS(ミルズ)
1984年、ハーラン・クリークに向かって傾斜する南東向きの山腹に植樹した14.4エーカーの畑。石灰質土壌。畑名は、ジョシュがワイン造りを始めたころに、いつも見守ってくれていた隣人であり友人エヴェレット・ミルズに由来。香り高くスパイシーで、丸みのあるタンニンと長い余韻のあるピノノワールを生み出す。このワインを探す
- DE VILLIERS(ド・ヴィリエ)
1997年、ミルズとジャンセンの間に植えられた15.6エーカーある東向きの畑。石灰質土壌。畑名は、ジョシュのワイン造りについての著書「 ロマネコンティに挑む~カレラ・ワイナリーの物語~(原題the Heartbreak grape)」の著者マルク・ド・ヴィリエに由来。噛み応えのあるジューシーな果実の特徴が全面に出た華やかなワイン。リッチでまろやかな口当たりが特徴。このワインを探す
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RYAN(ライアン)
1998年に植樹した13.1エーカーの西/南西向きの畑。カレラの自社畑の中でも、海抜約760mの最も高い場所に位置する石灰質土壌の畑です。ブドウ畑1979年以来ヴィンヤード・マネージャーを務めるジム・ライアンにちなんでつけられました。若木からは、明るく生き生きとした赤い果実のワインが生まれ、マウント・ハーランの特徴であるミネラルをほのかに感じさせます。このワインを探す
- VIGONIER(ヴィオニエ)
南西向きの斜面にある2.2エーカーの石灰質土壌の畑。1983年に植えられたこのヴィオニエの畑は、カリフォルニアで最も早く植えられたヴィオニエの一つ。収穫量が少ないため、凝縮感と強烈なアロマを持ち、カリフォルニアの他の地域ではほとんど見られない特徴的なミネラル感をもっています。このワインを探す
- アリゴテ
南西と北向きのわずか0.2エーカーの区画。ブドウの樹はわずか330本のみ。1998に植樹されたこのアリゴテの畑は、カリフォルニアで最も早く植えられたアリゴテの一つ
- CHARDONNAY(シャルドネ)
シャルドネの畑は2箇所。南/南西向き、緩やかな斜面にある6.1エーカーの石灰質土壌の畑からは、石灰岩土壌ならではの無駄のなさが特徴的な締まった印象でミネラル感とクリーミーなテクスチャーのあるシャルドネ。
1998年に植樹された4.3エーカーのヤングシャルドネの区画からは、マウント・ハーランの特徴である石灰岩のミネラルをアクセントにして、クリーミーな質感が口いっぱいに広がる、豊かなフレーバーのシャルドネを生み出します。このワインを探す
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