クロ ペガス ワイナリーClos Pegase Winery
妻ミツコに捧げたナパの宝石
クロ・ペガスは1984年に設立され、数多くの賞を受賞しているナパのワイナリー。 しかしオーナーのイアン・シュレム氏は、実はお酒とはまったく縁がないどころか、一切アルコールが飲めない人でした。
クロ・ペガスのワイナリーを設立する30年ほど前の1955年、イアン氏はカリフォルニア大学に在学中に休暇のつもりで日本にやってきました。そこでイアン氏はミツコという名の日本人女性に恋をし、休暇のつもりがその後13年間を日本で過ごすことになります。
彼は当時日本にヨーロッパの技術書や参考書が非常に少ない事に気づき、それらの輸入販売や翻訳を行う仕事を始めました。1955年といえば国産初のトランジスタラジオが発明・販売され、初のアルミ貨幣である1円硬貨が発行された年です。
この出版業ビジネスは大成功を収め、イアン氏はフランスと日本に50ヶ所のオフィスと2000人の従業員を抱える大企業のオーナーにまでになります。しかし彼は会社を1968年に売却し、夫人となるミツコさんとヨーロッパへ渡ります。駆け落ち同然向かったヨーロッパで、彼女の大好きなワイン造りを学ぶことになります。
イアン氏がワインの道へ進んだきっかけは2つ。一つめは、出版業で帝国を築いている間に、ミツコ夫人が大好きだったワインの美味しさと面白さに、彼自身も目覚めてしまったから。
そしてもうひとつのきっかけ、イアン氏が輸入していた書物の中あったギリシャ神話のワイン創生に関わる文献。「ペガサスがひづめで大地を蹴ると、女神ミューズの神聖な泉が湧き出た。これがワインの誕生である。」これに感銘したからです。
ワインの面白さに惹かれた彼は、出版業からワイン生産業への転向を決意。直ぐにボルドー大学に入学し、ワインについて学びました。ここで彼が考えたのは伝統的な醸造法と新しいテクノロジーとの融合。これを実現させるためにフランスではなく、カリフォルニアでワイン造りをはじめることを決意しました。
イアン氏はとっても運がよかったのです。それはカリフォルニアに渡ってまもなく、幸運にもカリフォルニアワインの偉大なる父、アンドレ・チェリチェフ氏に出会ったからです。1984年、チェリチェフ氏の的確なアドバイスと助けにより、カリフォルニアのナパ・ヴァレーに「クロ・ペガス」を設立することとなりました。
クロペガスのワインについて
クロペガスのワインは、樽の強いフレーヴァーや高いアルコール、凝縮しすぎたフレーヴァーを避け、フードフレンドリーで十分な果実味がありながらもエレガントな「クロペガス・スタイル」。妻の名前を付けた「Mitsukoʼs Vineyard」は冷涼なカーネロスに位置し、エレガントなワインを生み出します。
フラッグシップワインの「オマージュ」を始め、全てのワインが450エーカーある自社畑のブドウから生産されています。
ワイナリーでは、テイスティングやパティオでのピクニック・ツアーにも参加でき、多くの人が訪れるナパの大人気スポットです。