ドメーヌ ドルーアン オレゴンDomaine Drouhin Oregon
ブルゴーニュから来たオレゴンピノの立役者
ドメーヌ・ドルーアン・オレゴンは、1988年にアメリカ オレゴン州ウィラメットバレーに、ブルゴーニュの有名な生産者メゾン・ジョゼフ・ドルーアンが設立したワイナリーです。
ドルーアン・ファミリーの長女ヴェロニクがワインメーカーを、長男フィリップがヴィンヤードマネージャーを務め、 本家ブルゴーニュのドルーアンのポリシーを受け継ぎ、異国の地で素晴らしいワインを造っています。
ドメーヌ・ドルーアン オレゴンの誕生
ドメーヌ・ドルーアン オレゴンの始まりは、1961年。先代社長であるロベール・ドルーアンの西海岸への出張がきっかけでした。カリフォルニアワインが世界に知られはじめたばかりのこの頃、オレゴン産ワインは全くの無名であったにも関わらず、ロベールはオレゴンこそが、ブルゴーニュの特有品種であるピノ・ノワールの育成に最適な場所であると直感します。
さらに1979年、パリで行われたワインコンクールにおいて、オレゴン産のピノ・ノワールが、多数のブルゴーニュワインを差し置き、最優秀賞を受賞したことにより、ロベールの直感は確信に変わりました。
1986年、ヴェロニクが大学の醸造学科を卒業するや否や、オレゴンの数社のワイナリーに研修に行かせ、翌年には、この地でのワイン造りを決意します。ドルーアン オレゴンが所有する南斜面の畑に出会った時、その土地は、小麦とクリスマスツリー用の木の畑でしたが、新世界で、これほどピノ・ノワールの栽培に適した場所はないと、225エーカーの土地を即座に購入し、ドルーアン オレゴンは誕生しました。
1988年にドメーヌ・ドルーアン・オレゴンから最初のワインがリリースされると同時に、ワインは世界中で認められ、ヴィンテージを重ねる毎にその名声は高まって行きました。
近年このワインは、ホワイトハウスで各国の要人を迎える晩餐会に頻繁に登場し、新しいドルーアンワインをオレゴンから世界に披露しています。
ドメーヌ・ドルーアン オレゴンの栽培・醸造
ワイン用ぶどうの栽培地域として、オレゴンはピノノワールの栽培に、特に気候の面で大変適した土地です。 昼間はおだやかで、夜は大変涼しくなる理想的な気候のもとで、オレゴンのぶどうはその本来の特性を最大限に発揮し、ワインは卓越したフィネスを持つものになります。 ドメーヌ・ドルーアン・オレゴンの自社ぶどう畑は、ポートランドの南西約50kmに位置する、ウィラメットバレーの「レッド・ヒル」の南側斜面にあります。
現在、235エーカーの農地のうち、124エーカーにぶどう樹が植えられています。 主な品種はピノノワールで、1998年には、1996年ヴィンテージの「ドメーヌ・ドルーアン・オレゴン・シャルドネ」がリリースされました。 ドメーヌ・ドルーアン・オレゴンでは、クローンの選択、植樹密度、土の耕し方まで徹底的にこだわっています。
目を見張る景観の中に統合されたワイナリーの建物は、「グラヴィティ・フロー」を徹底的に追求した造りになっており、地上1階、地下7階の、合計8階層に造られています。
DATE: 2015.7.12
ドメーヌ・ドルーアン・オレゴン
マネージング・ディレクター
デヴィッド ミルマン氏
がワッシーズにご来店♪
ジ・アイリー・ヴィンヤーズのジェイソンさん(写真右)とドメーヌ・ドルーアン・オレゴンをデイヴィッドさん(写真左)招いて行われたセミナーに店長ハダノリが通訳として参加させていただきました!
通訳させていただいて”得な事!”といえば他の誰よりも詳しく生産者さんの事を知れることです。
ドルーアン オレゴンのマネージング・ディレクター:デヴィッド ミルマンさんは、なんと学生時代交換留学で日本に来ていたこともある秀才。元々はハリウッドの音楽業界に勤めていたんだそう。 セレブ生活(良いワイン飲むよね)から一念発起レコードはこれ以上売れない!とワイン業界へ。その敏腕ぶりはワイン業界でも変わらず、お話ししていても 頭の良さが伝わる方です。
ドメーヌドルーアンは1880年にフランス/ブルゴーニュの中心地ボーヌに創立され、130年以上の歴史がある名門ワイナリー:メゾン・ジョゼフ・ドルーアンが、1987年にオレゴン/ダンディーヒルズに設立したワイナリー。
先代のロベール・ドルーアンさんは初代ジョセフ・ドルーアンと同じくブルゴーニュにて若干24歳で家業を継ぎます。才能豊かな彼は数々の偉大な畑を購入。ブルゴーニュ初の女性醸造家を迎え、最も早く減農薬方法を導入した人間でもあります。またコミュニティの社会活動家としても尊敬された人物です。
そして、何より、彼の4人の子供達がいまだに仲が良く4人がそれぞれ尊敬しあって、家業を行っている!この業界でそんな仲良し兄妹見た事ないですっっ!(無いんです、)お父さん・お母さんが素晴らしいんでしょー♪
そんな、ドルーアンがなぜオレゴンへ?
じつは、今回一緒に通訳をさせていただいたジ・アイリー・ヴィンヤードがとっても重要な役割を果たします。
1979年にフランスの有名グルメ誌ゴー・ミヨがパリで開催したワイン・オリンピックで、見事、ピノ部門で10位に入賞!この当時、ジ・アイリー・ヴィンヤーズはおろか、オレゴン自身もまだ無名。
ワイン・オリンピックの結果に興味をもっていたドルーアンは、自社主催でブラインド試飲会で、ジ・アイリー・ヴィンヤーズのワインをテイスティング。ドルーアンのワインに次いでジ・アイリー・ヴィンヤーズが2位という好成績をおさめた、オレゴンワインの素晴らしさを知ることになったんです。
ロベールドルーアンが凄かったのは、2回目のブラインドテイスティングで自分のワインが優勝した時に『( ̄ー ̄)ニヤリッ ほらなっ。やっぱりウチの方が美味いんだよ』と言ったのではなく、
『うぉわw---。アイリ―ってすごいなっ!』『え?誰なの君たち?ディヴィッド君?オレゴン?』『すっごいねーー。今度是非うち来てよ、招待するよ!』
と、ディヴィッド夫妻をブルゴーニュに呼び寄せ仲良しになっちゃった事。
この事がきっかけで、ドルーアンはオレゴンにワイナリー作っちゃうことになったんです。
長女ヴェロニクがディジョンの醸造大学の卒業間近 その頃のフランス女子皆がするのと同じ様に父、ロベールにある日こう言いました。
「パパ!ワタシ世界が見たいの。卒業後はカリフォ~ルニアに行こうと思うの」
が、パパはすかさず、
『お前、何言ってんだ?カリフォルニア行ったって美味いピノは、無いだろ?? オレゴン行きなさい!全く何言うとんねん!』
ヴェロニク =( ̄□ ̄;)⇒ なに?なんなのぉぉぉぉぉぉxxxxxxx
て言うか・・・・おれごん?て何よ?え?場所?どこよ?
1、ヴェロニク地図を見る。
2、オレゴンの地の果てっぷりに絶望する
3、パパになぜお仕置きをされているのか深く考える。
と、そんな成り行きでヴェロニクはオレゴンのレット一家のアイリ―ヴィンヤードで1年間丁稚奉公する事となるのです。
が、しかしやっぱりロベールパパは正しかった。若いヴェロニクはそのオレゴンにすっかり魅せられそんなヴェロニクのハマりっぷりにさらなる可能性を見たドメーヌドルーアンは1988年にオレゴンにドルーアンオレゴンを設立したのでした。