ジ アイリー ヴィンヤーズThe Eyrie Vineyards
ジ アイリー ヴィンヤーズの早わかりポイント
- 創設者デイヴィッド・レットは、ウィラメット・ヴァレーに初めてピノノワールを植えたパイオニア
- 世界にオレゴン・ピノを知らしめるきっかけとなったワインオリンピック10位入賞の快挙
オレゴンピノの立役者『オレゴン・パパピノ』
”パパピノ”の愛称で親しまれていたジ・アイリー・ヴィンヤーズ創設者デイヴィッド・レットは、オレゴン州ウィラメット・ヴァレーに初めてピノノワールを植えたパイオニアとして、オレゴンワイン産業界の語り草となる象徴的人物です。
シカゴで生まれ、ユタ州ソルトレイク・シティで育ったデイヴィッドは大学で哲学を学んだ後、歯科医になるつもりでしたが、ある夏、ナパ・ヴァレーを訪れた際にワインの世界に惹かれ、ワインメーキングの道へ進むことを決意しました。
1964年、25歳でUCデイヴィス校を卒業したデイヴィッドは、在学中に授業で口にしたピノノワールに強いインスピレーションを受け、ピノノワールに適した産地を知るためヨーロッパへ渡り、ブルゴーニュとアルザスの生産者を尋ね廻りました。
帰国後、『ピノノワールを植えるのに最も適した産地は温暖で冷涼なオレゴンだ』と確信したデイヴィッドは、UCデイヴィス校教授陣の「オレゴン州はブドウ栽培に不向きである」という助言をよそに、同年の暮れに後に妻となるダイアナと3,000本のブドウの挿し木を携えてカリフォルニアからオレゴンへと向かいました。
翌1965年、ダンディー・ヒルズに南斜面となった緩やかな丘陵地のある理想的な9haの土地を見つけ、そこにナパ・ヴァレーの畑とUCデイヴィス校からかき集めたピノノワールとピノ・グリ、シャルドネの挿し木を植えました。これがウィラメット・ヴァレーにおける初めてのピノノワールの植え付けで、ピノ・グリはアメリカ初の植え付けとなりました。
1979年ワインオリンピックでの世界的快挙
前述のように、当時はまだ無名のオレゴンワインを世界に知らしめるきっかけとなったのがジ・アイリー・ヴィンヤーズの存在でした。
1979年、仏グルメ誌ゴー・ミヨが世界各国のワインを集めてパリで開催したワインオリンピックのピノノワール部門ブラインド試飲において、1975年ジ・アイリー・ピノノワール(現サウスブロック・リザーヴ)が10位に入賞したのです。これがきっかけとなり、オレゴン・ピノノワールの存在が世界へ知れ渡りました。
そしてこの話には、まだ続きがあります。
ワインオリンピックでの結果に疑いをもったブルゴーニュの有名メゾン、のジョセフ・ドルーアン社が翌年の1980年に、同社の手掛けるグラン・クリュ、プルミエ・クリュクラスのピノノワールとシャルドネを集め、ブラインド試飲の再試合を行います。そこでもジ・アイリー・ヴィンヤーズの同ワインが1位のシャンボール=ミュジニィにわずか0.2ポイント差で2位に入賞。オレゴン・ピノノワールの確固たる真価が認められました。
この時の結果に影響を受けたドルーアンは、デイヴィッド・レットらと交流を深め、のちにオレゴンにワイナリー『ドメーヌ・ドルーアン・オレゴン』を設立しました。
ワインオリンピックとジョセフ・ドルーアンとの対決、2つの快挙は全米で大きく報じられた後、デイヴィッドに続いて、何人ものパイオニアがオレゴンでワインを造りはじめました。さらに、90年代には第2グループと呼ばれる海外で経験を積んだ若手醸造家たちが牽引し、オレゴンワイン産業は大きく発展しました。
受け継がれるサクセス・ストーリー
2008年9月にデイヴィッド・レットが享年69歳で逝去した後、次男のジェイソン・レットがワイナリー経営と栽培・醸造を受け継ぎ、それまでと変わりないスタイルで、ニュアンスに富み、長期の熟成に持ちこたえるワインが造られています。
ジ・アイリーの名は最初にブドウを植えた畑に高くそびえる松の木に鷹の家族が巣を作り、宿ったことに由来しています(eyrie=高巣)。 醸造所は60年代、マクミンヴィル市街地の七面鳥の加工処理所を改築したもので、近い将来、ダンディ・ヒルズの畑に隣に新しいワイナリーが完成する予定です。
ダンディ・ヒルズの5つの自社畑
自然に徹した造りダンディー・ヒルズに5つある自社畑はすべて有機栽培により育成されています。
開墾当初に植え付けた葡萄の樹齢が高まり、それぞれ畑の個性がワインに映し出されるようになったことから、2012年から単一畑のピノノワールがリリースされています。
- オリジナル・ヴィンヤード
植付け:1965-74年/2.8ha/標高88-140m/南西・南東向き 品種:ピノ・グリ、シャルドネ、ピノノワール(クローン:ポマール、ヴェイデンスヴィル、アップライト)、ピノ・ムニエ - ダフネ・ヴィンヤード
植付け:1974年/0.6ha/標高246-260m/南西向き 品種:ピノノワール(クローン:ポマール)、ピノ・ムニエ - シスターズ・ヴィンヤード
植付け:1987年/1.6ha/標高67-110m/南向き 品種:ピノ・グリ、ピノ・ブラン、ピノノワール(クローン:ポマー ル、ヴェイデンスヴィル) - アウトクロップ・ヴィンヤード
植付け:1988年/2.0ha/標高85-108m/南向き 品種:ピノノワール(クローン:ヴェイデンスヴィル) - ローランド・グリーン・ヴィンヤード
植付け:1988年/2.0ha/標高162-216m/南向き 品種:ピノノワール(クローン:ポマール、ヴェイデンスヴィル)
DATE: 2015.7.12
ジ・アイリー・ヴィンヤーズ
オーナー兼ワインメーカー
ジェイソン レット氏
がワッシーズにご来店♪
ジ・アイリー・ヴィンヤーズのジェイソンさん(写真右)とドメーヌ・ドルーアン・オレゴンをデイヴィッドさん(写真左)招いて行われたセミナーに店長ハダノリが通訳として参加させていただきました!
通訳させていただいて”得な事!”といえば他の誰よりも詳しく生産者さんの事知れることです。
ジ・アイリー・ヴィンヤーズの2代目:ジェイソン レットさんはアメリカのみならず、世界に名を知られたピノパパ、レット氏のご子息!とは言えまったく飾らない、穏やかな方。小さいころからお父様と共にワイン造りが日常だったサラブレッド!ワインとそっくりの優しさがにじんでいます。(時々ウィットに富むエッジ―さも(笑)
創設者デイヴィット・レットといえばピノパパ!この人なしでニューワールドの ピノノワールはありえなかったんです。 UCデイヴィス校でフランス語の古い書物を自力で翻訳、ピノノワールを研究した時のノートを今も息子のジェイソンさんが持ってます。そのフランスの書物にはピノノワールは冷涼な地域で作る物。とあったそう。それを原動力としディヴィットレットはオレゴンにたどり着いたのです。
ちなみに、ピノグリをヨーロッパ以外に持ち出したのもピノパパが 最初。そして、話を聞いてピノパパ偉いなーー。と思ったのは ロマネコンティやら、なんやらのスーツケースクローンや長靴クローン なんて実際は使っていない事!そんなん”やってはいけない事” 以前に、危険性がものすごーーーく高い事なんです。
デイヴィットレット氏は、大学の研究室できっちりと管理され 病原菌が全く含まれていない、健全なブドウ苗木しか使っていません。 せっかく見つけた、ピノノワール最上の地オレゴンを どこか他の国からやってきた耐性のない病原菌で 汚す事なんてあってはイケない事と考えていたんですね♪ 苗木なんて菌だらけなんですよー。 だから野生酵母での発酵も可能なわけで・・・
やっぱり、この方なしでは今のピノノワールの発展は無かった!