ブライアントファミリーBryant Family
プリチャードヒルをいち早く発見した元祖カルトワイン
1980年代後半。ブライアントファミリーは弁護士として成功を収めていたドナルド・L・ブライアント・Jr.がプリチャードヒルにある5haの区画を取得したことから始まります。
プリチャード・ヒルといえば、シャペレ、コルギン、デイビッド・オーサー、近年ではロバート・モンダヴィの息子ティム・モンダヴィが自身のワイナリー・コンティニュアムを作り、オーヴィッドが希少なプレミアム・ワインを造る地域。あのボンドのメルベリーもこの近くの畑から造られています。
今でこそ注目を集めるプリチャード・ヒルですが当時の有名どころはシャペレのみ。
そのシャペレがかつて使っていた畑をドナルド・L・ブライアント・Jr.が取得すると、カベルネ・ソーヴィニヨンを植えました。台木、クローン、畝の方角、仕立て、スペーシングなどのモダン・テクニックを駆使して最新のワイナリーを建設。
何年も試作を繰り返した後、1992年にブライアント・ファミリーとして初ヴィンテージをリリース。プリチャード・ヒルのテロワールを体現する芸術品のようなワインが生み出されました。
海外へはメーリング・リストのみの販売を貫き通してきた為、限られたマニアにしか手に入れることができない究極のカルトワインです。
錚々たるワイン・メーカーのバトン・リレー
1992年ワイン・メーカーにトップ・ワインメーカー、ヘレン・ターリーが就任するや、1993年にワイン・アドヴォケイト(パーカーポイント)97ポイント、1994年に98ポイントを獲得。
1996年はワイン・スペクテーター100ポイント、1997年はワイン・アドヴォケイト(パーカーポイント)100ポイントとカルト・ワイン全盛期を牽引する華々しい評価を受けるトップ・ワイナリーとなりました。
その後ワイン・メーカーが、フィリップ・メルカ、マーク・オーベール、ロス・ウァランス、ヘレン・ケンプリンガーと変わり、現在は長年アシスタントを務めてきたトッド・アレキザンダーがワインメーカーを務めています。
2002年より現在まで10年に渡り、ミッシェル・ロランがコンサルタントを務めています。
ゴールデン・チームの復活、新しいプロジェクト
スター栽培家デヴィッド・エイブリューはブライアントファミリー設立当初、畑の管理を行い、しばらく離れていましたが、2000年より復帰。彼のチームが完璧な栽培管理を行っています。
レイク・ヘネシーを見下ろす北北西向きの急斜面はプリチャート・ヒルの中でも一番湖に近くその影響を強く受けます。湖を渡る冷たい西風が畑を冷やし、葡萄が過熟ぜず、長いハングタイムを持ち、酸を保ったまま完璧に完熟します。
1990年代のブライアントファミリーは、カルト・ワインの筆頭として凝縮したカベルネ・ソーヴィニヨンを誇っていましたが、2007年にマーク・オーベールが担当して以降、アントニオ・ガッローニをもってして、「究極のエレガンス/This is a wine of extraordinary elegance. 」と言わしめるワイン造りを行っています。
2004年ヴィンテージよりセカンド格となるDB4をリリース。2009年からはデヴィッド・エイブリューの3 つの畑からボルドー品種をブレンドしドナルドの妻の名を冠した究極のナパ・レッド・ブレンド“ベティーナ”をリリースしました。